寿で暮す人々あれこれ
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— 132 —横浜市寿生活館職員の方々 ─ 地域と信頼関係をつくる横浜市は昭和40年に寿地区に寿生活館(以下、生活館という)という相談所を開設しました。ドヤで暮らす人たちには生活・医療・衛生・保育・教育・住宅などさまざまな問題が山積していました。生活館で働く職員は、市のその他の部門への異動はない条件を自ら望んだ方々ばかりでした。僕の思いでは追いつかぬ方々ですが、少しでも追いつくように表現しようと思います。生活館の職員さんは、公的な機関の中で、最も公務員らしからぬ公務員たちだったと僕は思っています。公的な役割の中で責任を全うしようとしている方、公的な責任を軽々と踏み越えて活動している方等、様々な活動の仕方と個性を持った方々でした。それぞれの個性をお互いに発揮しながら、活動をめぐって激論も交わしていました。勤務時間はあってもなきが如し、でした。勤務時間がおわり、それからがある意味本当の活動でした。問題はたくさんありました。時間はいくらあっても足りなかったことでしょう。労働者、お母さんたち、子どもたちと共にいろいろな活動を生み出していきました。ドヤに住み活動する職員さんもいました。それぞれがお互いに議論し、協力し街の内・外で様々な活動を展開していました。寿福祉センターが設立されたのは、昭和43年です。僕はこの熱気あふれる活動の中に最初から参加できる幸運に恵まれました。各ドヤの帳場(管理人)さんとも活動を通して親しくなりました。職員さんたちの活動は、ドヤの生活や医療や子どもたちの問題などいつも親身に話し合い協力できる信頼関係を生み出していました。職員さんは、様々な経歴をお持ちの方々でした。発想も違います。でも、寿で暮らす人々に共感し、問題により添って共に考え、活動する方々でした。酔った方と共に一夜を過ごしたり、吐いたゲロを平気で両手ですくったり生活感を共にしているようなおつき合いに思えました。現在も寿で働く方々と寿で暮らす方々との間に信頼関係が働いているのは、この寿生活館の職員さんたち草創期の活動で培われた「信頼」が

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