寿で暮す人々あれこれ
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— 127 —寿で暮らす人々あれこれトオル君は、お父さんに連れられて保育所に通いだしました。同じドヤの方が送り迎えをしてくれることもありました。51年3月、トオル君は卒園しました。ランドセルを背負って小学校に通うトオル君を時々見かけました。あの物静かなトオル君です。声をかけると静かに笑顔で答えてくれました。そのうち僕の記憶の中から次第に間遠になっていきました。いつ頃転居したのでしょうか、出合うこともなくなりました。僕の記憶の中では、あの小柄で物静かなトオル君のままです。時間がとまったように。保育所の保護者の方々(その3) ─ 春野さんのこと 春野さんは、声も大きく元気で明るい方でした。悩みごとの相談もうれしいことの報告とそんなに変わらない…、僕にはそう感じられました。愚痴も開けっぴろげで率直でした。受けた悩みごとの相談も深刻で困ったということはほとんどありませんでした。いつも雑談でお互いに解消…、といった塩梅でした。昭和46年4月、長男が3歳のとき入園。それからは、次男、三男、長女…と続けて入園。そんなわけで誰かが卒園しても通う子どもたちが途切れることはありませんでした。子どもたちは5男、6女の11人。11人の子どもたちを生み育てる、この平凡かつ偉大さは何に例え表現したらよいのでしょうか、春野さんはいつも自然体で「うんと…大変!」などと言いつつ、そうとは感じないおおらかな方でした。在園中は、ほとんどの年度は2~3人のお子さんをお預かりしていました。長男と末っ子の5男の年齢差は17歳。11番目の5男が卒園したのは平成3年3月でした。20年にわたる保育園生活が終わり、春野さんの

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