寿で暮す人々あれこれ
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— 124 —た。学童保育の指導員から、子どもの勉強机にとリンゴ箱に和紙を張って勉強机にして持っていったところ、その子の父親に「こんなもの置けるか」と怒鳴られ外に放り投げられて、茫然としたという話を聞きました。その指導員が「リンゴ箱を置くことができない部屋の狭さ、大変さを理解していなかった自分が悔しい」と言ったことが印象に残りました。保育所の保護者の方々(その1) ─ 山本さんのこと寿で子どもを育てることは大変だ。まず、住まいとしているドヤは2~3畳(ドヤの一畳は普通の家庭の一畳よりも小さい)の個室で、そもそも単身者用に作られている。昔はこんな言葉があった。「起きて半畳、寝て一畳…」。まあ、人間は最低それだけのスペースがあれば何とか生きていける…とか。さて、個室には水道、ガスの設備、トイレはなく、フロアの一番奥、炊事施設も共用である。20~30の部屋に対し水道もせいぜい3口、10円入れて3分ほどのガスコンロが2~3口置いてある。自炊らしきものを作るには、コンロのそばに10円玉をたくさん積んでおかなくてはならない。使いたい宿泊者も他にいるのでそう長くは独占できない。当時は、壁にコンセントもなく電気器具をつけるときは天井の電球のところに二又のコンセントをつけてひいていた。たとえば、こたつなど置くとたこ足配線になるが、ドヤ代とは別に電気器具1個について、500円前後徴収されていた。当時は、8時間保育だった。希望と必要によって午後6時まで時間外託児をしていた。寿の方々は、8時前後の登園、5時前後のお迎えが多かった。こんなことがあった。午後7時過ぎてもお迎えが無い。どうしたんだろうと、保母さんと(当時はそう呼

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