寿で暮す人々あれこれ
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— 118 —寿にいる間お酒をやめるそぶりを見せたことはなかった。ある人から、東京の精神科病院に入院したのではないか、と聞いた。それから1年ほどたったある日、そねやんは、横浜でAAのセミナーがあって横浜に来たついでに、当センターに寄ってくれた。退院後に入所した施設でAAのプログラムに出会ったのだ。ヤンカラにいた時のここは俺の場だという自然な存在感はなくて、場違いなところに来た、という生真面目な態度だった。お酒をやめている喜びという雰囲気はあまり感じることはなかった。その後、そねやんの消息は聞くことはなかった。どうしているのだろうか…。そねやんやヤブちゃんのおふたりの口から、人や社会への批判を聞いたことはなかった。自分の存在をすまながっているような風情があった。僕は、お二人に寿の日雇労働者の象徴というか原像のような人ではないかと思っている。労働相談に来た人たち大きな都市には「日雇労働」が必要な業種がある。日雇という雇用の形態には長い歴史があるようで、調べたことはないのだが、たどると歴史のどこまで行くのだろう。日雇とは労働基準法によると「日々、又は1か月を期限として雇い入れられるもの」とある。都市には短期間に大量の臨時の労働力を必要とする業種がたくさんある。江戸時代にも道普請やドブさらい、橋の修理や掛替え、中間や臨時奉公人など一定の期間で終わる仕事もたくさんあったから求人、求職を斡旋する「口入屋」、今でいうハローワークのようなものがあった。「日雇」は、はるか昔から社会生活上なくてはならないものと思われる。江戸時代も飢饉や不作など農村では食べられなくなった農民が仕事を求めて都市に流入

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