— 117 —寿で暮らす人々あれこれに故事来歴の話を聞こうとすると微妙にはぐらかされることなどがあって、あまり聞くことはしなかった。わかるときは自然にわかってくることでよいと思っていた。2年も3年もドヤに泊まらず焚火のそばが「日常」だったそねやんなどヤンカラさんたち。焚火の傍にいなければ「飯場か病院ではないか」と思っていた。そねやんは、仕事に行っていたはずだが、仕事から帰ってきたぞという様子を感じさせたことはなかった。普通、仕事から帰った人は、格好や表情から察しがついたし、懐には多少の現金もあるので仲間に「おごったり」していた。そねやんにそんな仕事帰りの雰囲気を感じたことはほとんどなかった。飯場で働いている間、仕事と食事と寝る場は「保証」されていた。しかし、飯場を出るときには、飯場で過ごしていた間の生活経費(諸式という)の精算で働いた賃金はほとんどなかったのかもしれない。飯場にはそうした巧妙なシステムが存在した。ある時、そねやんにお酒をやめることを進めたことがある。期待はしなかったが。そねやんは、めずらしい相談室のそねやん。羅漢たちのパンフがちらりと
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