— 112 —る。日雇の仕事に就くには、直行や親方を通じて就労するなど職安を利用しない青空市場が多かったが、近年は携帯電話で就労することが多くなってきたようである。さて、スカブラのこと。寿のことでなく、九州は福岡県の炭鉱での話である。戦前、戦後の日本の近代化を支えたエネルギーは石炭だった。工業地帯の煙突から吐き出される黒い煙は、復興の象徴ともてはやされもした。50歳代後半や60歳代の人たちは、小学校でストーブの燃料として石炭を使った記憶があるのではないか。日本では特に北海道と九州に大・中・小の炭鉱が多くあった。しかし、1950年から60年にかけて、石炭から石油に代わるエネルギー革命が進み石炭産業は急激に衰退していった。石炭産業が盛んで石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれた頃、福岡県の七市四郡にまたがる巨大な筑豊炭田にはスカブラ(上野英信氏※6の著書に初出)と呼ばれた一群の人たちがいた。スカブラの名前の由来はおおよそこんなことだったと記憶する。炭抗夫たちは、石炭の採掘に坑道深く入っていく。地熱と炭塵(たんじん=石炭を採掘する時に出る塵)が舞う地底の仕事を終えて坑道を出てくる抗夫たちは、身体も顔も汗と炭塵にまみれまだら模様に汚れている。その中に、明らかに他の抗夫と違い炭塵で化粧したように真っ黒になっている人がいた。炭鉱の関係者たちは、その人たちを「スカブラ」と呼んだ。何故、スカブラと呼ばれたのか?スカブラは、坑道に入ってもブラブラして過ごすから汗をかかない。坑道から出てくる姿はスカッとしていてそれは恰好よかったという。スカッとしてブラブラしているから「スカッブラ」。やがて「スカブラ」になった。危険に満ちた地の底で、ツルハシヤやスコップをふるい石炭を掘り、運び出す過酷で激しい労働の中でブラブラしていることがなぜ許されたのだろうか。休憩の時、スカブラは巧みな話術でみんなを和ませ楽しませる。坑道の中はカンテラの明かりだけで気を紛らわせるものは何もない。スカブラの話は暗闇の中の耐え
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