寿で暮す人々あれこれ
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— 110 —診療所は当初週3日、そして何年かして週5日になった。昭和57年7月から、土、日を除いて午前9時から夜6時まで開業するようになった。当診療所は、それを見定めてから夜間診療を閉鎖することになった。渡辺保健婦はその間休まずに夜間診療の席に座り続けた。さて、渡辺保健婦の活動と人となりは、昭和52年、NHKブックスで「寿町保健婦日記」として発刊されている。渡辺保健婦は、定年後も金沢区の自宅がある地域でボランティアとして活動していた。故郷は山形の関場という山深く、雪深い所。横浜の自宅を息子さん夫婦にまかせ念願の故郷「関場」に戻ったと聞いた。故郷とはそういうところなのだろう。僕は、風の便りに、聞いた時とてもうれしい気持がした。自分を育くんだ生まれ故郷。そこは渡辺さんにとって最も安らげる場所だろう。帰る故郷があるのはいいものだと思う。昨年、渡辺保健婦の訃報を伝え聞いた。80歳余であると思う。冥福を祈る。合掌。ネカタ(寝方)とスカブラ最近、あまり聞かなくなった。寿が日雇労働者の町としてまだ活気があった頃のことです。早朝の寿の日雇職安前広場、保育所の前の広場は、これから仕事に行く人、仕事を探す人、日雇労働者を手配する人でごった返していた。船舶の仕事の頭とり(※5)が「ネカタ、ネカタいないか!」と大声をあげて歩きまわっていた。ネカタとは「寝方」と書く。いわば、最初から労働の軽減、免除が約束された員数合わせの要員のことである。ネカタとはよくいったものだと思う。軽妙な呼び名でユーモアを感じさせる。さて、寝方のことだが、港湾関係の仕事では、時に請うけと呼ばれる仕事が出ることがある。わかりやすく説

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