寿で暮す人々あれこれ
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— 107 —寿で暮らす人々あれこれ渡辺保健婦は、寿の実情と保健所のはざまでいろいろ考えていた。寿地区での「乳幼児検診」の実施は、渡辺保健婦の発案であり念願でもあった。寿福祉センター診療所と保健所の共同事業として、一般健康診断とツ反接種、その判定によるBCG接種を実施することになった。寿で初めてのことだった。3日間実施された。数十人の子どもたちが受診した。この健診で精密検査の必要な子どもたちが多く発見された。結核で即入院の乳児、予防薬の服薬や経過観察が必要な乳幼児など、早急に必要な措置が取られた。また、受診の機会に、母子手帳がない者にその場で必要な事項を記入して発行された。それまでは、必要書類をもって何度も保健所に行かなくてはならなかった。保健所での健診では、受付で嫌なおもいをしてそのまま帰り、二度と行かうとしなかった。この健診は内容を充実させて続くことになる。僕は、健診の時は各家庭にお知らせを配布し、当日はさらに案内に回った。こんなこともあった。「明日行きます」と言っていた人が来ないので訪問に出向いた。空き部屋になっていた。管理人さんに尋ねた。「昨日の夜、引っ越していったよ。行き先?わからないよ」僕は呆然とした。寿は、日々人が去り、人を受け入れて維持されている町である。寿が持つ一面を感じたものだった。渡辺保健婦は、訪問を通じ、日々母親や子供たちの実情に接して、保健婦としての技術を傾注していた。何より明るく気さくな人柄は、寿の親たちに親しまれ信頼されていた。渡辺保健婦の支援。当診療所は、寿で要望の強かった夜間診療を始めた。そのニーズに共感して、夜間診療を引き受けてくれるお医者さんを説得してくださった。山下埠頭診療所の三木先生でした。一週間に一回、夕方6時から夜8時まで。仕事を終えた労働者や病院にかかれない人が受診した。夜間診療の開始の日には80人ほどの人が並んだ。夜の待合室は、受診者だけでなく関係者も訪れてサロンともなっていった。横浜市は昭和56年、寿の関係団体の強い要望を受けて、寿町勤労者福祉協会内に診療所を開設した。その

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