寿で暮す人々あれこれ
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— 106 —畳の個室で、押入れもなく、トイレや水道、ガスは共有だ。食べること、寝ること、憩うことなど子どもにとって最も基本的なことが満たされていなかった。また、人口の大半は男子単身者なので、女性や子どもにとっては暮らしいやすいところではない。寿の地域の中でも女性(母)と子どもたちは、行政のサービスに取り残されていた。   寿福祉センター保育所が開設され、僕は有子所帯への訪問を重ねて、顔見知りも増えてきた。保育所の説明とともに入園をすすめて歩いていた。「そんな可哀そうなことできるか!」と素っ気ないお父さん「手続きの仕方がわからない」「字が書けない」「住民票がない」「出生届をしていない」「生活保護を受けているから入れないのでは?」などいろいろな課題や問題があることを知ることになった。家庭では、着たきりの子どもたちも見られた。今のように衣類が多種多様にあるわけではなかった。夏の部屋は、湿気で蒸し風呂のようで呼吸が苦しくなるほどであった。しばらくすると呼吸が楽になる。乳幼児が健康に育つ環境にはほど遠い。子どもたちは、小学校や中学校で「くさい」と言われて意地悪や仲間外れにされるということも聞いていた。親たちは日々の生活で精一杯で余裕はない。子どもたちの衛生や清潔はドヤの設備などから限界がある。それが寿の有子所帯の置かれている状況だ。しかし、子どもたちは元気そのもの。昼夜を問わず寿を縦横に駆け回っていた。たまに停まっている車のフロントガラスを滑り台にしたり、屋根はジャンプ台となった。余談だが、僕は、年一度のクリスマス会の仮装パレードでマッチ売りの少女に扮した。行進中、子どもたちにスカートをさっとまくられ「あ、白だ!」ついた綽名は「おかまセンセイ」。母親たちにとっては、乳幼児の健診を受けに保健所に出向くのは、いろいろな意味で行きたくないところだった。保健所の関係者のなかには「子どもに対する愛情がないのよ」「いい加減なのよ」と言う人もいた。その気持ちが無意識に視線や態度に出るのだろう。

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