寿で暮す人々あれこれ
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— 8 —確認をしたりしていただいていることを紹介しました。単に清掃しているだけでなく、子どもとの触れ合いや清掃を心から楽しんでいたのです。一人一人のおじいちゃんたちの個性が現れていました。保護者の方々に、それを感じていただけたらと思いました。それからは、寿で出会った印象深い人々のことを書かせていただきました。書かせていただいているうちに、寿の街も人と同じように歴史があること、福祉や医療の仕事をしている方など、そして、自分自身のことも書かせていただきました。それら総体が「寿」という言葉でくくれるように思えたからでした。寿祉センターの活動 ─ 地域の中で寿福祉センターは、地域の労働者や団体と絶えず共に活動していました。福祉センターが開所した昭和43年は、寿が労働者の街として最盛期の頃でした。朝に夕に、寿の港職安広場周辺は労働者で活気にあふれ、路上には赤ちょうちんの屋台が並んでいました。僕が寿へ来る少し前、祥雲荘という木造のドヤが火災となり、ドヤの居住者は、横浜市寿生活館の職員有志の支援によって罹災同盟を結成して経営者との補償交渉をしている最中でした。僕は、町の方々と直接触れたいと活動に参加するようになりました。居住者はこの活動で初めて経営者から一定の補償を獲得しました。寿の労働者と生活者の迫力と切実な生活の一端を感じることができました。

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