2010年09月07日
村田さんの 寿で暮らす人々14 寿老人クラブと高木さんのこと
2010年08月25日
村田さんの「寿で暮らす人々あれこれ」50号 特別に・・
昭和46年 寿生活館の相談室は、いろんな人が、ごちゃごちゃに居て、活気があって暖かく、居心地のいい相談室でした。紛れもない寿の人たちの相談室でした。寿の人々の「生」がもたらした、「エネルギー空間」でした。
寿でくらす人たちは、、人間として呼吸できる場所かどうか?、を敏感に察知します。相談は、相談所のほんの一部の機能に過ぎないのではないでしょうか?
「生きる力の見出せる相談所」の回復、その実現は不可能なのでしょうか??
○村田さんが、昭和40年代の「相談所」のあるいは「相談」の持つ価値・力について自問自答しています。 匡済会の職員で、相談員、生活支援員の仕事をしている皆さん、ちょっと立ち止まって、利用者の方との「相談」って何???? 自問自答してみませんか??
ということで、最新号50号を、「号外」で、配信します。
2010年08月13日
村田さんの 寿の人の話⑬ 一言多いんだよな・・・
昭和43年、神奈川県匡済会は、寿の町に「寿福祉センター」を作り、寿の町に住む人たちへの様々な支援を始めました。、また、寿に住む子供たちの支援のため「保育所」も始めました。
開設当初から、寿福祉センターへ勤務し、たくさんの寿の人たちと出会ってきた「村田さん」。
このシリーズは、「寿の村田さん」が、たくさんの人たちとの出会いの中で、見て、聞いて、感じた、「愛すべき人たち」への、メッセージ、エッセイです。
みなさんは、「この人との出会い」 どんな感じを持たれますか?
第13号は
「一言多いんだよな・・・」
ひと処で、居着けなかった、彼。
しかし、寿の町で、獲得した自分の変化、
大事にしたい寿の生活が、できてきて・・・・・・・
2010年07月30日
寿の町で40余年、村田さんのたくさんの人との「出会いと思い」・・・
昭和43年、神奈川県匡済会は、寿の町に「寿福祉センター」を作り、寿の町に住む人たちへの様々な支援を始めました。、また寿に住む子供たちの支援のため「保育所」も始めました。
開設当初から、勤務し、たくさんの寿の人たちと出会ってきた「村田さん」。このシリーズは、「寿の村田さん」が、たくさんの人たちとの出会いの中で、見て、聞いて、感じた、「愛すべき人たち」への、メッセージ、エッセイです。
みなさんは、「この人との出会い」 どんな感じを持たれますか?
2010年07月15日
村田さんの 寿で暮らす人々10 今回は・・・
2010年06月29日
村田さんの「寿で暮らす人々7」
今回は、寿だからこそ、生き延びてこられた・・・・???
2010年06月11日
お待ちかね。寿でくらす人々 5・6です
2010年06月01日
村田さんの「ことぶきでくらす人々」③④アップします。
さて今回は、③④です。
「がじりやさんのこと????」
「一風流なひと????」
どんな人の登場なんでしょうね… 上野
2010年05月21日
村田さんの「ことぶきで暮らす人々」 掲載します。
横浜市中区寿地区、ご存知ですか?
大阪の釜が崎、東京の山谷、とともに「日本の三大ドヤ街」といわれる地区です。
詳しい成り立ちは省きますが、簡単に言うと、日本の戦後の復興期、全国各地から、横浜の復興の原点となる、横浜港の港湾労働力として、多くの人々が集まり、形成された 「労働者」の街です。
「ドヤ」とは、「旅館=ヤド、とも言えない代物」ということだそうです。
神奈川県匡済会は、この街で、昭和43年、「寿福祉センター」を開設し、それ以来、寿地区の人々の生活に密着し、様々な支援に取り組んできました。
現在も、
○ホームレス自立支援施設「はまかぜ」 ○ホームレス巡回相談事業
○ホームレス緊急一時宿泊施設「中村川寮」 ○寿地区介護予防型通所事業
○寿福祉センター保育所
といった福祉施設を運営し、寿地区での支援活動を継続しています。
その開設時から、この事業に取り組んできたのが、現「寿福祉センター保育所長」の、村田さんです。
このことぶきの人々に40年以上かかわり、様々な「ひと」に接してきた、村田さんの「ことぶきで暮らす人々」のエッセイを、連載していこうと思います。
私たちが忘れかけている「人間らしさ」を、ふと、私に、思い起こさせてくれたりするのですが・・・
とりあえず、今回は、①スリで生きてきて80歳 ②おもらいさんのこと をアップしてみます。
感想等あれば・・・
PDF
ワード
2009年12月21日
匡済会の理念
「あらゆる人の尊厳を守り、常に人が人として
文化的生活が営めるよう
その自立に向けた支援に努める」
この基本理念こそ、私たち神奈川県匡済会で働く仲間の
「心からの思い」であり『行動の宣言」です。